思春期にむかいあうことは、どの大人にとっても意味のあることだと感じます。
育児では、子どもが大きくなって少し手が離れてほっとするのも束の間、思春期に入り、また別の局面を迎えます。私も、3人の我が子たちが思春期に入りました。また、私自身のなかに、まだ今も、思春期の頃にいだいていた何かが残っているのも感じます。
自立に向けての複雑でデリケートな心の動きを抱える子どもたち。この時期独特のコミュニケーションもあり、これまで育ててきた親にとっては、反抗期という言葉を知っていたとしても、心穏やかではいられない時があるのを、私も感じています。親の役割や責任、位置づけが変わっていくなか、親の庇護のもとにいながら、初々しく純粋な視点で親の矛盾などに苛立つ子どもたちとの距離感は、日々揺れ動き、ややこしいです。
ほんの少し前まで親まかせだった進路や暮らし方などに対して、純粋で本気らしいけれど、どこか青臭い内容で一人前のことを言って歯向かってくる子どもたち。暮らしや教育の面倒をこちらが見ているのに、こちらの人間性を否定するような態度さえ見せたりもする。それでも愛しい大事な子ども・・・。友人たちの家庭をみても、生徒たちをみても、そして、自分のことを苦々しく思い出しても、思春期の大人と子どものかんけいには、ところどころ、そんなことが起きて、子どもにもせつない言い分があると思いますが、大人も、色々と複雑な気持ちにさせられます。
しかし、親としても、自分の生活もなげうってどこかなりふり構わぬところも厭わず育てる段階から、段々と大人としての自分の姿や考え方を問われ続けもする段階に移っていき大人の世界に子どもたちを送り出さなければいけないのも事実。
大人の入り口に立つ彼らに、伝えること、見せる背中・・・大人にとっては、思春期にむきあうことで、自分の生き様や社会のあり方、人生への答えを明確にする機会を得るようにも思います。思春期の人の前に立つこと、彼らに伝える内容を考えて、ひとつ自分の人生のステージを進めるということ。そんなことを体験しながら、その都度、認識を確かめ、改めて、歩をひとつひとつ進めていくということができるかもしれません。
私などは、もしかしたら、やっと今、思春期の頃から抱えてきた課題を解消することができるぐらいの大人になって、社会に自分の足で立ち、機会があればその答えを次世代に渡すことができるかもしれない、とも感じています。
そして、つきつけられる問いのなかにはすぐには答えの出せないものや、一生かかっても答えのないものがあります。それも、子どもたちに伝えていかなければいけないことでしょう。しかし、答えを出さずに大人として暮らしてきてしまったテーマや、答えを知らないことさえあり、それについては、社会全体で考えなければいけないのではないかと、私は、思っています。
そのひとつが、「性」だと思います。
先日、性教育に画期的なアプローチをしているNPOピルコンさんの活動をご紹介しました。「性」の問題を解消した先に、豊かな人間関係、豊かな社会の実現があるということや、 変えていきたい負の連鎖を止めるために、思春期の性教育が有効と考える代表の染矢さんの思いや活動を知る機会にもなってほしいと思って書いた記事です。
「性」の問題を解消することが、豊かな人間関係のスタートにもなるのは、なるほどと思いました。「思春期」「豊かな関係性」というテーマは、私自身が向き合いさせられ続けています。
大人の入り口に立った思春期に立ちはだかっている「性」の問題。私は、自分が、このゲートをきちんとした形でくぐって大人になり、親になった気は、正直なところしていません。今の日本・・・自治体や家庭環境などによっても違うと思いますが、少なくとも私が育ち、今子どもを育てている環境では、「性」の周りのことは、とても曖昧になっている気がします。そして、ここをもっと見つめれば、私たちは、もう少し幸せにしあえると思ってしかたがありません。子どもたちには、それをしてほしいと思うのです。
たとえば、思春期の我が子たちへの言葉が私にはわからなくて、そして、自分自身が、身近で大切な人たちとどんな関係をめざしているのかも、言葉にしきれていないし、きちんと追求しあったこともなかった・・そして、それをしたいなと思わされています。
もちろん、「性」にまつわることは、とてもデリケートで、赤裸々にあけすけになんでも語れば良いものではないし、簡単に言葉で整理できないものです。
秘めごとの部分は秘めておくことが、エチケットでマナーで、文化であり、また、だから素敵なこともあるし、それに、そうしておくことが、安全のために必要な一面もあると感じます。ただ、その中にも秘めごとにしなくても良いことはあって、さらに、秘めごとにしない方が良いことまで一緒に秘めごとになってしまっていないかと思うのです。インターネットなどからの情報をはじめとする、横行する性を使ったビジネスからの有害な情報が氾濫してしまっているのも事実ではないかと思います。
「知らないための不幸」や、「誤った認識による不幸」、また、きちんと学んで来なかったたまの「軽率な行動」が、どんなに辛いことを生んでしまうか・・・個人が負う傷も大きいのに、社会に負の連鎖を引き起こしてしまうことも確かに現実としてあると思うので、それは、もう少し見なおしても良いのではないでしょうか。
染矢さんがこの夏に出版された 『マンガでわかるオトコの子の「性 」』は、思春期の内容も見解も新しく確かで、とても勉強になりました。男の子向けの本ですが、恋愛についての社会問題や個人の心構えなども、現代社会にふさわしい内容で、子どもの心に寄り添って書いてあります。女の子にとっても、性への理解と、男の子の気持ちも大事にしながら、性にどうむきあっていくか、女性である自分自身の心と体をどう捉え大事にしていくかを考えられる本だと感じました。
そして、greenz.jpの記事にも書いたように、ピルコン代表の染矢さんは次のようにおっしゃっています。
性の問題の正解は、人それぞれ。自分と見つめあう性も、相手と深める性も、もっと楽しく豊かなものになりますように。
私も、「性」のむこうにあるもの・・・今もなお、私は、自分の大切な人たちと豊かな関係を築くために、今みつめたいもの、大切な人と語りたいことはなんだろう、と思い続けています。
これからの時代、「協働」などの言葉で表されている人と人の関係性や動き、つまり、本当に平和で豊かな社会を作るコミュニケーションや意識を、子どもたちは求められていると言われます。そうでなければ、社会が危機的な状況に瀕するとも言われますが、そんな風に追い詰められた形でなく、人として、きっとそれが叶う方が幸せだと思うので、そうなってほしいと、私は思います。そして、その教育が社会で考えられています。
けれど、大人たちこそが、まだ、人との関係に答えを持ちきれていないと、私は思っています。今、本当の豊かな人間関係を築くことを、まず、大人から考えていかないといけないのではないでしょうか。
実は、greenz.jpのピルコンさんの記事の最後の部分には、読者のみなさまへのメッセージとして書いた文があるのですが、それは、まとめるのに、少し時間がかかりました。
次世代のために、まずは私たち一人ひとりが大人の入り口に立ちはだかる性の問題に立ち返ること。そして、その答えを追い求め、自分やパートナー、子どもたちと対話を続けることは、自分たちのより良い人生を考える貴重な機会にもなりそうです。
思春期の我が子や若い人たちに語る言葉を探せない自分、パートナーシップ問題を未だ解消できず苦しむ自分が、なぜ、このインタビューを、社会や人生をより良くしたいと感じる若い世代の読者が多い「ほしい未来をつくるヒント」に満ちたgreenz.jpの記事として企画させていただいたのかを、どう言葉にしたらいいのか、ずっと考えていました。
書いてしまえば簡単な内容なのですが、読者のみなさんに、深刻な社会問題や、染矢さんのご活動の姿勢や内容の魅力とともに、私は、これを伝えたかったんだ、と思いました。
あなたも、楽しく豊かな関係を築くための“性”の問題をまっすぐに見つめ、明るくまじめに、大切な誰かと話してみませんか。