ムーミンの登場人物(ムーミンは「人物」でなく「トロール」ですが)のなかでは、私の周囲にはスナフキンのファンがわりと多く(あと、ミイも人気)、私もいつしか彼を好きになったものの、子どものころや若いころの私にとっては、彼は、知的で冷静でかっこいいけど、身勝手でちょっとこわいところもあるお兄さんでした。 大人になった私は、彼の言うことを、少しせつない思いでとらえます。
ぼく、ムーミンたちのことだって、煩わしく思うこともある。だけど、彼らとくらしていると、一緒でも、ひとりでいられるんだ。あんなに何年も、長い夏を、ムーミン谷で過ごしていたのに、ぼくは気づきさえしなかったんだ。ムーミンたちは、ぼくのこと、ひとりにしておいてくれたんだ – スナフキン
— ムーミン谷の名言bot (@moomin_valley) 2015, 7月 16
誰のなかにも、「ひとりでいられる」ことに安心する気持ちはあって、だけど「一緒」にいたい気持ちもあって、それをいつどんなふうに実現できるとしあわせなのかは、人それぞれ違うのだと思います。
それから、そこに大きな問題なく折り合いをつけられる人とそうでない人がいて、スナフキンは後者なのでしょう。
彼には、次のようなセリフもあります。
どうしてみんな、ぼくの旅のことを、そっとしておいてくれないんだろう。むりに語らせられると、ぺらぺらしゃべったが最後、ばらばらになって消えてしまうんだ、それでおしまいさ。旅のことを思い出したくても、自分のしゃべった声しか聞こえなくなっちまう – スナフキン — ムーミン谷の名言bot (@moomin_valley) 2015, 7月 16
スナフキンは穏やかで温かい人ですが、こんな風なことを曖昧にしておけない、ややこしさを時々見せる・・・。
でも、彼の言葉は真実をついていると思います。
事象は、言語化した途端、意識のなかで、その言葉に切り取られ置き換えられてしまうので。物書きである私は、日々、それをしてしまっている自覚と覚悟をうながされます。
それでも、そうして捉えて伝えて、人は、生をつむぎ世界をつくっていく・・・そういうせつない生き物で、世界は、そのように何かが介在してできあがっているのかもしれないというのが、私の感覚です。(その気持ちから、このサイトの、「Fwoo-K(フウケイ=風景)」というタイトルを決めました。)
旅するスナフキンは、旅を旅のまま、事象を事象のままおいておける人で、それをとりあげられることをきつく感じる人なのだなあ、と思います。人には様々な特質があるのだと、はっとさせられる瞬間です。
少しでも多く言語化して伝えたい衝動が強い私は、自分にはない、彼のそのいさぎよくも見える特質に少し憧れ、そして、危うく不器用にも見えるところに少し不安を感じたりもしてしまいます。
ところで、スナフキンは、冬になるとムーミン谷を去って旅の途につきます。そして、そのあいだ、ムーミンたちは冬眠しているのでした。
家族や恋人に「お休み」を言って長い眠りにつき、春になって目覚める彼らです。
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今年2015年は、ムーミンの生誕70周年だそうです。 実は、ムーミンは、たとえば「くまのプーさん」のように子ども心を描いたものでも、夢の世界を描いたファンタジーでもなくて、現実的で、ずっしりと深くて暗いところもある物語です。作者トーベ・ヤンソンの思想も注目されています。
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今年は映画も公開。
先日は、自然環境を活かしたムーミンの公式テーマパーク「metsa(メッツァ)」が埼玉県の宮沢湖周辺にできることも発表されました。
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p style=”text-align: center;”>ムーミンの世界を体現できるテーマパークは、 東京ドーム4つ分の広さ。(フィンテックグローバル)